転職の話を読んでいると、たいてい、転職に気持ちが固まった決定的な瞬間やきっかけがあります。理不尽な叱責。どうすることもできない体調不良。信頼していた先輩や同期、後輩の退職等々。
ただ、私にはそれがありませんでした。
何かが起きたわけではない
なぜ、15年勤めた会社を辞めたのかと聞かれると、理由を述べることはできますが、気持ちが固まった決定的なきっかけを挙げることができません。
上司や客先から理不尽に怒鳴られたわけでもありませんし、不当に評価を下げられたわけでもありません。目立った体調不良というのもありません。最後の現場は確かに体力的にもメンタル的にも厳しかったのですが、辛さで言えば新人時代のときの方が多分上だったと思いますし、限界を感じるほどではありませんでした。
ただ、あるとき何となく感じたのです。
この働き方を、この先もずっと続けていける気がしない。
積み重なっていたもの
あとから整理すると、2つが重なっていました。
1. SESという働き方そのものへの見切り
この連載で書いてきたことが、そのまま理由です。自分に関する書類を何ひとつ見たことがない。稼働時間の幅の中に味方がいない。頑張っても何も変わらない。
どれも決定的ではありません。ひとつずつなら、我慢できる範囲です。ただ、10年以上かけて積み上がると、「この構造は、どこをどう見ても自分に不利にできている」という結論になります。
自分という存在が、所属している会社や客先から良いように利用されているなと。働いても働いても、自分への割に合った見返りは期待できず、むしろ働けば働くだけ、自分を良いように利用している人たちが喜ぶ結果になることが許せなくなっていました。そう感じるようになってしまっている時点で、もう手遅れかなと思いました。
2. 自社の人間の態度への不信感
これも、特定の誰かに何かをされた話ではありません。
自社の人間が「ワークライフバランスを大切に」と言う。無理をしないようにと言う。社員は宝だと言う。その一方で契約は140時間から180時間で、印象のために上限側を望んでいる。
表面上は社員にとって聞こえの良いことを言いながら、実態がまるで伴っていないように感じ始めたときから、自社の人間の言葉を聞いても反感に近い感情が芽生えるようになってしまいました。
年齢の焦りがあった
強いてきっかけを挙げるとすれば、一番はこれです。
「転職は35歳まで」という話を通説として認識しており、当時の私は年齢的にちょうど35歳に差し掛かるタイミングだったため、本当に転職を考えるなら期限が迫っている、という感覚がありました。
いま思えば、この説をそのまま信じる必要はなかったと思います。実際、私はエージェントから「新卒から15年間同じ会社に勤めていることは強みだ」と言われました。実際、私は転職活動の中で複数社から内定をもらえました。
私は焦りで動いたのかもしれません。でも、動いたこと自体は正しかったと思っています。
決定的な事件を待たなくていい
この記事で書いておきたいのは、これです。
いろいろな人の転職体験談を見ると、みんな何かきっかけがあって辞めているように見えます。だから、きっかけがない限りは「まだ辞めるべきじゃない」と考えてしまっていそうです。
でも、決定的な事件が起きないまま時間だけが過ぎるのが、SESで一番よくあるパターンです。事件が起きるのを待っていると、ただただ時間だけが無情に流れていきます。過ぎた時間は戻ってきません。もっと早く動いていれば、、と思ってももう遅いんです。
「この働き方をずっと続けられる気がしない」
「35歳までに転職しなきゃ」
決定的なきっかけがあった訳ではありませんが、これで動けて良かったと思っています。

