前回公開した記事から、時系列的にはだいぶ戻ってしまうのですが、どうしても書いておきたい内容があるので、ここから何本かに分けて書いていこうと思います。
基本的にSESとして働いていた15年間の中で、客先に常駐していない時期がありました。その頃のお話です。
4年目に、私は本社に戻された
4年目のある現場の作業が終わったあと、私は次の客先ではなく本社に戻っていた時期があります。次の客先が決まるまで本社で待機かな?と思ったわけですが、そうではなく、本社で何かやることがあり、それを担当することになりました。
何を血迷ったのか、自社が色気づき、それまでやったことの無い受託開発に手を出そうとしていました。「手を出そうとしていた」と言うより、既に手を出して動き始めてしまっていた…というのが正解かもしれません。
営業がどう頑張ったのかは分からない
どのような経緯、どのようなきっかけでそのような状態になっていたのかは未だに分からないままなのですが、あるお客さんに対して既に何度か話がされており、既にまとまりそうな状況になっていました。ステータスとしては、お客さんはこちらからの提案を待っている状態でした。
ちなみに、このお客さんというのはシステムのエンドユーザーにあたります。SES企業がエンドユーザーと直接やり取りを行い、要望されているものをシステムとして形作るノウハウなどあるのか疑問(と言うか無いはず)ではありましたが、営業がどう頑張ったのか謎のまま、そのような状態になってしまっていたのです。
営業が人づてにお客さんを紹介してもらい、「実はこんなことをシステムでやれたらいいと思ってるんですよね~」という雑談めいた話を真に受けて、
「やれます! 具体的なのは後ほど技術の方から。」
…みたいなことを言ったのかなと、想像の域は出ませんが、そんな感じだったのかなと思います。営業が先に売って、技術が後から帳尻を合わせる。SES営業の思考様式が、そのまま出ています。
常駐ならこれでも回ります。「人を出す」だけで、大した責任を負うことなく済むからです。何なら、何かあってもその責任は常駐しているメンバーに押し付けられる勢いです。でも受託は違いますよね。成果物の責任が、思いっきり自社にのしかかってきます。
これを書いていて思い出しましたが、当時の部長がよく言っていたことがあります。「うちはSIerだから~」、「SIerっていうのは~」、「SIerとしては~」、、、SESを生業にしているいち企業が堂々とSIerを語っていましたが、いま考えればとんでもない話だなと思います。SES企業に、企業としてSIerを語れるような技術の蓄積や問題解決のノウハウがほんの少しでもあるとは全く思えないからです。
技術の蓄積、問題解決のノウハウ、現場で必要とされているスキルや温度感、人間性などは、すべて現場に常駐して作業した社員しか分かりません。それが自社に本当の意味でフィードバックされることなどあり得ません。究極の属人文化だなと思っています。
そして、そこに私がアサインされた
そんなところに、私がアサインされました。それまで常駐先でほとんど製造まわりの作業しか経験してきていない4年目の私がです。
たまたま、それまで常駐して作業していた先のプロジェクトが一段落して、契約の区切り的に都合が良かったのが一番の理由だったのかなと思います。「もう4年目だしちょうどいいじゃん」的な感じで軽く決められたような気がしますが、上述の通り、私は上流作業の経験がほとんどありませんでした。
そんな私が、提案段階のプロジェクトに放り込まれました。頼れる先輩どころか、エンジニア職の社員はみんな客先に常駐していて誰も残っていない本社で、私は作業をすることになったのです。
結論を先に書いておく
この受託開発のプロジェクトは、長くは続きませんでした。一応、リリースまでは行い、その後の保守・運用まで進みはしたのですが、開発にかかった費用を最後まで回収できなかったものと思います。
私が在籍しているうちの話にはなりますが、あの会社が受託開発をやったのは、その一度だけでした。
SES企業が何を勘違いしてか色気づいて受託開発に手を出し、そして静かに畳む。このようなケースは恐らくほかの会社にも起こり得る話だと思っています。SES企業が「自社サービスを始めます」「受託にも力を入れます」と言い出して、数年後には誰も口にしなくなるという光景は、業界のあちこちで繰り返されていそうだなと、そしてその被害者にあたる会社や人間が少なからずいるんだろうなと、、そう思います。
ただ、私にとっては特別な経験だった
このプロジェクトは会社にとっては成功したとは言えないものだったと思います。でも、私のSES企業での15年間の中では、一番中身の詰まった時期であり、一番色々なことを学び経験できた時期でもありました。
皮肉なことかもしれませんが、会社的には失敗だったプロジェクトが、私個人としては一番大事な経験(少なくとも、あの会社での経験を誰かに話す際には一番まともに話ができる経験)として、今もしっかり残り続けています。

